こんなにも長い鍵の不在

鍵をなくしてしまうとその日一日がとても長く感じます。

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個人主義の負の側面

最近、京都大学の研究により日本における個人主義と幸福度には深い関係があると発表されました。
研究の対象となったのは日本とアメリカの大学生です。両者とも個人主義傾向が強いですが、アメリカの大学生は個人主義傾向と親しい友人の数、幸福感にはあまり関係が見られなかったそうです。
しかし、日本で個人主義の傾向が強い人は親しい友人の数も少なく、幸福感も低いということがわかりました。

また、日本においては個人主義的で競争的な精度を導入している企業で働く人にもこのような傾向が現れるということがわかっています。

グローバル化により日本ではまずます個人主義化が進んでいます。
このような傾向が進んでいるのは近代以降のことです。
しかしそれに対してヨーロッパなどの個人主義は長い時間をかけて勧められたものです。
もともと個人主義の国でなかった日本で成果主義や個性重視を掲げられるとそれに必要な心理や行動傾向を身につけていないために日本の伝統的な規範や価値観との間でギャップが生じてしまうようです。
結果、他社と親しい関係を築けない人が多くなり、幸福感も低下してしまうという見解が生まれています。

セキュリティ面においても、現代のようにあまりに個人主義が進んで「自分のことは自分でやる」という考えになりすぎると周りに助けを求めづらくなったり、何かがあっても知らんぷりをされてしまうことになります。
欧米のように個人主義がすすんでも周囲と関係を築けるようになるのは日本人はまだまだ先のことなのかもしれません。

日本の住宅

日本人がはじめて自分たちで建築により住居を作ったのが縄文時代ごろのことです。
そのころ生まれた住居のことを竪穴式住居といいます。稲作などがはじまると稲の保管のことも考えて高床式の住居が生まれていきます。
竪穴式住居の工法は部分的に江戸時代まで引き継いで使われていくことになります。

現代でも一般的な木造住宅の基礎が出来上がるのは鎌倉や室町時代のことです。書院造りという伝統的な日本家屋の形がこの時代に生まれました。畳の床であったり床の間が備えられた住宅のことです。

このような住宅からかなり進化するのが近代化の進む大正時代のころです。江戸時代末から日本にも外国風の建物が作られるようになり、このような海外から伝わった建築様式が明治期からどんどん日本中に広まっていきます。
木造住宅の流れを組みながらも西洋風の建築設計を取り入れた建物が作られていくことになります。

それまでは日本の家屋は家族全員が集まる部屋と台所用の部屋くらいしか用意されていませんでした。部屋という概念も明確にはありませんでした。
しかし、西洋の建築を取り入れることで部屋のある住宅がうまれ、家族一人一人に寝室や自室が割り当てられていくようになったのです。

ヨーロッパ

ヨーロッパでは個人主義が発達していたという話をしました。
ヨーロッパではどのようにして個人主義が発達していったのでしょうか。

鍵やガラスなどの建築材料はいまやあたりまえのように私達の生活に馴染んでいます。
このようなエクステリアの考え方はどのようにして生まれてきたのでしょうか。

昔のヨーロッパの家屋には基本的には廊下というものは存在していませんでした。部屋というものも曖昧だったそうです。
ですから、個人のための空間というのはほとんど存在しなかったということです。
それが15世紀くらいになってくると裕福な階級の家庭には部屋というものが生まれるようになります。
富裕層はたくさんの使用人を使って生活しています。このような使用人と家族を分けるために「部屋」が必要になったのです。また、貴重品を守る必要もありました。こうして「部屋」という外から遮断された空間が誕生していったのです。

当時のヨーロッパのほとんどの家が石造りでした。四方が壁で仕切られていて入り口に鍵をかけると中は真っ黒になります。照明器具はランプやろうそくなどの松明しかありませんでいした。その様子は牢屋とほとんど変わらなかったようです。
そこでガラスという光を通す素材が必要になります。
まず窓を作り、そこに太陽の光を取り入れるためにガラスを使います。こうすることで部屋はより快適な空間になっていきます。
こうして個人の空間を手に入れるようになっていったということです。

このような部屋が比較的早い段階で成立させたのがイタリアのトスカナ地方だそうです。イタリアではそのころルネサンスという時代もはじまりますので何物にも束縛されないルネサンス運動がこのような個人主義と関係していたと考えても不思議ではないかもしれません。

個人主義と鍵

日本はヨーロッパの国々と違って近代個人主義が十分に育たなかった民族と言われています。
日本はタテの結びつきが強く、ヨコのつながりは弱い民族だと指摘されます。集団的な思考は身についているのですが、個人としての意識が薄いと言われています。

このようなことを指摘されると、確かに否定できないなと感じる人が多いのではないでしょうか。

集団の結びつきが多く個人の意識が希薄なことが導き出した問題が「オレオレ詐欺」の被害です。
一時期話題になったので知っている人が多いと思います。
高齢者を狙った詐欺で、孫や子供を装って高額の振込をさせようとするものです。
警察や弁護士の名前などを出したりもするのでダマされるお年寄りは後を絶ちませんでした。
しかも高齢者が一番可愛がっている孫をダシにするのですから騙されてしまってもたしかに不思議ではありません。
それくらい日本人は家族との結びつきが強い民族だとも指摘できます。

昔はそれでも共同体の結びつきも強かったのです。
村のおまわりさんはみんなから信頼されていました。
そして住民たちも互いに信頼し合い、何か困ったことがあれば助けあって暮らしていました。
しかし、現代はこのような共同体の結びつきがなく、個人個人で生きていっています。
暗黙の信頼関係も薄れていってしまっているようです。

こうなってくると鍵やセキュリティのありかたも変わっていきます。
昔は鍵なんてかけなくても何も問題がありませんでしたが今では誰も見張ってもくれないし助けてもくれません。自分の身は自分で守るしかないのです。
個人個人でセキュリティを考えなくてはいけない時代になっています。